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人間の醍醐味


最近、よく考えるテーマがあります。それは「感情」です。

感情は人が成長するうえでとても大切な気づきのツールです。感情を見ていくことで、なぜその感情を感じているのか、背後にある理由がわかることで気づきを得ます。

感情はきわめて個人的なものです。その感情が湧いてくる理由や、関わりのある人、状況、すべてが異なり、その人だけの感情を生み出します。だからこそ、魂の成長につながる何かを持っているのです。好きな人に会ったら、ドキドキするでしょう? それもあなたの人生に何が大切なのかを教えてくれる、大切なサインですよね。

重い感情に関しては、それに気づき、解放することで、魂がぐんと成長します。一つの課題の終了です。それが終われば、次の段階へと進めます。では重い感情=エネルギーを解放しさえすれば、次の段階へといけるのでしょうか? 気づきを伴わない解放でも?

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今、地球をもっと軽く健康な状態に戻すために、多くのライト・ワーカーたちが急がされていますよね。だから大勢が一度にたくさん軽くなれるように、「感情は真我には属さないものだから、幻想と同じ。自分のものではない。必要ないネガティブなバイブレーションを解放してもっと軽くなりましょう」と奨励している人もたくさんいます。確かにそうすることで、生き方に違いも出てくるでしょう。

「でも待てよ」と、私は考えてしまうのです。やり方によっては本末転倒になってしまうのではないかと。気づきがあってこその解放だと思うのですが、せっかく持っている自分の感情を軽くあしらいすぎると、感情を感じている意味がなくなってしまうのではないかと。

ネガティブな感情の場合は特に、その感情と向き合うことにより、魂のクセやテーマを思い出せるので、気づきを得られます。その感情に紐付けされた思い出や事柄に気づくと、いずれはその感情が「もう必要ない」ことがわかり、次第に手放していくことができる。これが「気づきを伴った感情解放」です。

一方、「気づき」ではなく感情解放に主眼をおいたメソッドを使うと、「気づきのない感情解放」になるのではないか?となんとなく思うのですが、どうなんでしょう。もっとも先に軽くなることで世の中の見方も変わるだろうから、後から「気づき」が付いてくることもあるのかもしれませんね。

いずれにせよ、感情こそ、人間が人間である証しであり、尊いものであることは間違いありません。感情のない人間って、やっぱり寂しい。

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浦沢直樹さんの漫画「MONSTER」では、旧東ドイツに存在していたという設定の孤児院で、名前も与えられず、記憶を剥奪され、感情を持たせない人体実験を受けた子どもの話が出てきます。その人物は死の間際に感情を取り戻し、ずっと昔に亡くした自分の子どものことを思い出し、初めて悲しいと感じて涙を流します。自分を苦しめた権力、あるいはそこから生まれたMONSTERと戦って死んでいく彼ですが、その死は尊く人間らしいものでした。

この漫画の中でMONSTERと呼ばれている青年の生い立ちはひどいものですが、その絶望の原風景には、絶対的な愛情の欠如があります。愛情を受けていない子どもは、自分自身の価値を見出せなくなってしまう。この物語にはそんな絶望を背負った子どもたち・大人たちがたくさん出てきます。反対に愛情が人間を育んでいく様子も、たくさん描かれています。

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この世の生がいっときの夢だとしたら、そこに紡がれる何億という人生の物語は、人々の記憶と感情で成り立っていることになります。その記憶と感情を剥奪するとMONSTER が生まれる。つまり人間であるとは、記憶と感情を持つ存在であるということ。強い愛情、恐れ、喜び、様々な感情の中で人々は成長し、気づきを得ていく。それら全てが色即是空ということもできるけど、私が一つ、人生のモットーにしていることがありますので披露させてくださいね。それは・・・

「踊るアホウに見るアホウ。同じアホなら踊らにゃソンソン♪」という、あれ ^^ 見てるだけじゃなく、体験し、感情を感じ切って、人生思い切り楽しまないと、ね。感情を軽くして、愛のエネルギーを循環させることにより、人生もスイスイと進んでいくのでしょう。

【8月4日追記】 ちょっと気付いたことがあるので、追記します。感情には2種類あるんじゃないかと思って。正確には感情の出どころです。

一つは、社会通念や成長の過程において形成された、本来自分に所属していない感情。ぐっと内観すれば見えてくるもの。例えば、子供の頃に両親の価値観を教え込まれ、それを基準に生きることによって生まれる感情。例えば皆と一緒でなければ許されないという価値観から生まれる劣等感、恐れ、無価値観など。しかし本来、それは、自分のものではない。

もう一つは、もっと根深い個人的な感情。つまり過去生などから持ち越している、その人のテーマをひもとくことにつながる感情です。そういった感情は、社会や親の育て方とは関係なく、その人が個人的に持っているものです。それを見ていくことで、深い気づきがある。

上記2種類の感情の出どころは、深く絡み合っている場合もあるでしょう。その感情から見させられている現実。リレーションシップ。

何が言いたいのかというと、社会通念などによる勘違いから起こる感情は、ちょいと気づきを得たら早々に手放してしまっていいと思うのですが、魂の深いところで持っている感情は「なぜ自分がそれを持っているのか・感じるのか」に、じっくり向き合っていくのがいいのではないかと思うのです。あるいは両方 ^^ 向き合って損はないから。


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