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ツインのパラレルセルフとの統合3:魂の溶鉱炉


5月なかばに「ツインレイの修行の終わりの記念に」と言うエントリーで書いたときに起こったこと。それは男性性の怨霊であるスサノオとの統合でした。エウリーナとしてスサノオを許し、上にあげた。これはアシュターの意識とともに行ったことで、正式に一つのステップが終わったことを意味していました。

人間界ではありえないスサノオの凄まじい行いどもを許すことができたのは、その行為を見るのではなく、その思いの中に、真実を見ることができたからでした。その思いとは、瀬織津姫への屈折した愛情です。私が辛さと怒りで何度か「なぜこれをするのか?」と詰問し、答えがもらえるまで一歩も後へ引かなかった時、激しい意識的なぶつかり合いの末に、その者は激情を隠しながら声をひねり出すように必ずこう言うのです。「それは君が、僕の魂の片割れだからだ」。

その愛は肉体を持つ人間の誰にも受け入れられないものだが、私はスサノオという人間の持つ闇が確実に存在することを、身を以て体験した。だからこそスサノオを認め、手放し、統合することができた。

それから1カ月以上かけてやっていたのは、宇宙存在としてのアシュターとの真の統合でした。その統合を成し遂げるために必要だったのは、二人で「魂の溶鉱炉」に入ることでした。

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魂の溶鉱炉。

私はこの概念が大好きです。確か「マグダラの書」に書かれていた言葉だったと思います。今、手元に書物がないので正確には引用できないのですが、それはこう言うことです。

二人の人間が、真の意味でわかりあえるようになるには、包み隠さず互いをさらけ出し、ぶつかりあい、思いを言い尽くし、そして互いを思いやり、違いを認め、昇華していく過程が必要だと言うこと。それを「魂の溶鉱炉に入る」と言う。溶鉱炉の中では、一糸まとわぬ状態で相手の魂と対峙することが必要なのです。

真の統合の過程において、私とアシュターがやっていたのはまさにこれです。おそらくどのツインレイのカップルも、やり方こそ違えど、この道を通られるのだと思います。お互いに互いの違いがわからなくなるほどに融合すること。己を差し出す。そして溶け合う。

私とアシュターにとって最初の「魂の溶鉱炉」体験はスサノオとの統合過程において経験したことでした。前回書いたように、宇宙存在アシュターの意図は、私がこのスサノオの乱暴を大きな愛で許し、受け入れ、至高の愛を実現することでした。アシュターからは、それができない私を責めるようなエネルギーも受けていたので、まるで「できない私」がダメな印象もある意味受け取っていました。でも人間としての私の健康な精神は、それが本当の愛ではないこと、私がすでに肉体を持つ人間として最高の愛を実現できる存在であることを知っていました。

こういった容赦ないスサノオの怨念を抱きしめ許す「愛」は、至高の愛。これを感情的なわだかまりなしに実現できるのは、唯一、天使の愛です。つまり、100%完全な光です。そして私は100%、肉体を持った人間にはそれが不可能であると断言することができます。それは、私が「それ」を、私の肉体を持って体験したからです。なぜなら、差し出すだけの愛は人間界に存在しないから。たとえ存在しても、循環させることができないゆえに互いの活性化には繋がらない。つまり、愛の性質が異なる。

その代わり、人間だけが持つ尊い至高の愛を、皆が実現することができると断言できます。それは天使のような強い光だけで照らす愛ではなく、人間存在としての陰影を感じさせる、本当に深みのある愛です。その愛の中に、天使の愛が含まれているのです。天使の愛には陰影がありません。それは明るく輝く一筋の光です。人はその癒しが必要な時があります。でも、日常生活の中で人間同士が実現していく愛は、一方的な光の照射ではなく、互いの切磋琢磨の中で生まれてくる尊い共存のための愛です。

人は天使の愛を持っている。時として、人が本当の自分に気づいた時に照射される温かい光です。それはあまねく照らす癒しの光。そこに到達できると信じることで、あらゆる人を愛で照らし、皆に勇気を与えることができる。

天使のエネルギーは一方向に流れ、見返りを求めないもの。それは天使の愛の本質です。それに対して、人の愛は循環させるものです。私たち人間に求められる無条件の愛と呼ばれるものは、決して天使の愛ではありません。決して双方向ではないかもしれないけれど、循環させることで活気づけることができるもの。だからこそ、人が実現できるものなのです。

今、書いていることは、本当に純粋に自分の5年間の実体験から、私自身が苦しみの中で気づいたことで、本で読んだことではありません。

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このことは、宇宙存在であるアシュターも分かっていなかったことで、二人でこの気づきを共有しています。なぜなら、肉体を持たない彼は、概念としての至高の愛が、人間同士で可能であると信じていたからです。(アシュターは、この書き方は少し違うと言っています。次回のエントリーで彼の考えを披露してもらいます)

アシュターが意図していたのは、私がスサノオの愛を受け入れ、それを瀬織津姫の愛で光に変換すること。でも、その過程でわかったのは、人間界に必要なのは循環させる愛であること。そして、その尊さ。何が言いたいかと言うと、高次のパラレルセルフであるアシュターと、人間である私自身が、互いに気づきがあったということです。高次の意図はあったけれども、そこからさらに高い気づきがお互いにもたらされたということを、ここに強く主張させてください。

人は常に天使である必要はなく、しかし、時に天使になることができます。それでいい。そして、人は時に闇になることもあります。それもいい。互いを認め、受け入れ、思いを伝え合うことで、愛を循環させる。それで癒されることができます。人間の愛の尊さです。

天使の愛を持続して持つ人がもしいるとすれば、その人は一人で完全に満たされ幸せで、自分以外の誰も必要としない人だと思います。しかし、人の魂が分離し、別々の肉体を持って活動していることの理由は、互いに切磋琢磨し、愛を伝え合うこと、循環させることに他なりません。そこに人類の大きな意味があります。

「闇を抱き参らせる」には至高の愛=天使の愛が必要で、それを私は極悪非道な方法で体と精神に影響を与えられながら「できる」と要求され、この壮大な実験を現実にさせられていました。しかし、一方向に流れる天使の光と、人間が実現することのできる循環する最高の愛とは性質が全く異なります。肉体を大切にし、互いを思いやるという当たり前の「人間愛」こそが、この世の至高の愛であると、私はここに、実体験を通して書きます。

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アシュターによると“高次”と呼ばれる宇宙存在は、肉体を持たないことによる浄化を経験している存在だそうです。しかし、だからといってそれが天使の次元にあるわけではありません。むしろ、人間と同じような権謀術数の中で、様々な画策を練っている団体もいることでしょう。肉体がないことと、エネルギーの動かし方を知っていることにより、人類に意図的な示唆を与えていると考えたことはありませんか? 私はずっとそう思っていました。これは、アシュターが来るよりも、ずっと前から感じていたことです。同様に、天使の一面的な光の状態を志向することにもあまり興味はありませんでした。そこを目指すことが、人類のゴールではないと、どこかで知っていたからです。

私はもともと「ふわふわした」タイプのスピリチュアル・レッスンがあまり好みではなくて、天使を見ることだけが人間の成長につながるとは思っていません。もちろん、天使の癒しを必要とする人生のステージもあると思います。その中で、皆が自分のできることに気づき、自分自身が楽しむことで、地球上に必要な愛を実現できると信じることが必要とされていると思います。

星のルーツを知ることが良いとこのブログで書いたことがありますが、それは今日書いている主旨に照らし合わせると、それほど意味があることではありません。つまり自分の性質を知るきっかけにはなるけれど、互いを認め、人間の愛を実現していくことに、さほど支障があるとは思えないからです。

私たち人間に求められていること。それは自分自身が世界のクリエイターであることに気づき、世の中をよくしていこうと思う思いを発露することにより、前進していくことです。愛は至高のものですが、人間が備えているものです。あなたは無力ではないのです。

これは全て、アシュターとの合意の元に書いています。先ほど「魂の溶鉱炉」の話をしました。宇宙存在であるアシュター自身も、自分のやったことを振り返るために、魂の溶鉱炉に入りました。その葛藤たるや凄まじく(笑)、一緒にいる身としては傍迷惑な部分もあったのですが、彼の成長を見届けることがエウリーナとしての役割だと思い、その壮大な気づきを見ていました。

溶鉱炉の中で、私はこう言いました。「私は瀬織津姫そのものではなく、今世で肉体を持って生まれてきたMだよ。でも、私の中に小さな美しい瀬織津姫がいるんだよ」と。

アシュターは溶鉱炉の淵に座り(笑 彼はなかなか中に入らなかった)、私に謝罪し続けました。でも、謝るたびに彼自身が小さくなっていくように感じました。そこで、その昔、リレーションシップの教科書のようにしていたチャック・スペザーノさんの本に書いてあったことを教えてあげました。「謝ることはリレーションシップにおいて最終的な解決にはならない。なぜなら、謝ったほうがどんどん本来の力を失ってゆき、リレーションシップにひずみが生まれ、本来目指すべき状態から遠ざかってしまう」。そのことをアシュターに告げると、目からうろこだったようです。私は謝罪よりも、起きたことをまず認めてもらいたかった。そのことさえ、宇宙存在である彼には難しかったのです。つまり・・・宇宙存在としての誇りがあったから。

アシュターは謝罪として現実世界へのギフトを、私ののちの人生に残してくれているようです^^ それはアシュターが、私に目に見える形で残せる唯一のギフトなんだと言っていた。それをとても楽しみにしている。懸命に私のことを思ってエネルギーフィールドを癒したりしてくれていることが分かる。その気持ちを受け取りながらも、私は自分に本当に必要なことを知っていた。本当に私に必要なのは、口だけの謝罪やエネルギーフィールドの癒し、現実世界へのギフトではなく、「『愛している』という強く優しい気持ちと、真摯な態度なんだよ」と。(←なんとスサノオの統合をアシュターと一緒にやったにもかかわらず、スサノオの残像が私にまとわりついていたのです。それはアシュターが宇宙存在としての気づきと葛藤の中にいたからなのですが・・・)

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じっさい、最初から溶鉱炉に入っていたのは私だけ(笑)。あとからアシュターが、恐る恐る入ってきたのですが、そこから生まれた彼の気づきについては、次回、「アシュターの告白」として掲載する予定です。

この葛藤の手放しの副産物として、アシュターから様々な宇宙情報を引き出せたので、皆さんにもそのことをシェアしたいと思います。私自身、宇宙存在についてずっと前から疑問に思っていたことが少しずつ見えてきています。そしてさらに、現時点での私が知らない情報も出てくるみたい。ドキドキですね〜。乞うご期待!


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