何度でも私という宇宙に立ち返る
ご無沙汰しております。前回の更新から1ヵ月が経ちました。本業がとても忙しいということもあるのですが、どうもエウリーナの筆が乗らない(笑)。何となく足踏みしているようなもどかしい毎日を送っていました。
自分の中に片割れの魂が入ってきて4年になります。そろそろこの状態に終止符を打って先に進みたいと思っていて、今年に入ってからかなり前進があったように感じていました。それは「エウリーナについて【後編】」でも書いた通り。意識のシフトは確かにありました。
しかしその後も片割れのパラレルセルフは私の身体から退去していく様子がなく(最近はかなり大人しくはなっているのですが)、「なんでまだいるねん?」という感じで猜疑の目を向けていましたw
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今年6月に意識のシフトがあった後、いつも心がけていたのは「常に自分自身でいること」でした。自分にフォーカスすることです。悟りとは、常に自分自身でいることに他ならないから。昔から私はいつも自分自身でいると思っているのですが、ここへ来てもまだ、どこかで他の人と比較してしまったり、「これでいいのかな?」と疑問視したり不安に感じたりといったことをしていたと思います。
私は昔から意識で感知できる範囲が広くて、人が大勢いる場でそれぞれの動向をどこかで観ているような感覚があり、また大人数で飲食をしているときはテーブルの向こうの方の人まで、全員がくまなく楽しんでいる状態でないと落ち着かないような性分でした。空気を読み、その場の雰囲気を自分なりにコントロールするような、そんな感じです。でも、そういうことも、もうする必要はないんだとやっと気づきました。文字通りまったく必要ないのです。自分が幸せでいることが最優先事項なのです。
比較したり不安になったりしない。
これは言葉にしたり考えたり認識したりするのは容易いのですが、本当に「常にその状態である」ようになるには、また新しいステージに行くことが必要なんだと気づきました。私が通った過程で言うと、「自分自身でいることが最高の状態」という発見があり、次に「比較したり不安に思ったりしないようにしようと努力」しました。でも、頭で考えて努力するだけでは、比較や不安は来るんですよね。「知っている」と「その状態でいる」が全然違うのは、みなさんもご存知の通りです。
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比較や不安が繰り返しやって来るのは、社会通念のくびきからまだ解放されていないからでもありますし、「自分を本当の意味で信じる」ことができていないからでもあります。
ところで「完全に自分自身でいる」とは、「完全に自分に満足している状態」と同義です。それはどういう状態なんでしょう?
言ってみれば・・・一瞬一瞬の選択に満足することです。食べるものの選択、着ていく洋服の選択、寝る時間の選択、人に会わない選択、その仕事を今しない選択、友人からのメッセージにすぐに返事をしない選択、どうしてもしたいことを夜通しでする選択、その結果としてひどい寝不足になる選択・・・日常生活の中で、一つひとつ、自分が選んできたことに寸分の間違いもなかったことに気づく選択。そのすべて、自分が重ねてきたすべての選択に、満足し、振り返らない。ここに書いたような比較的大きな選択だけでなく、まさにミクロの世界で展開している日常的な一瞬一瞬の意識選択もそうなんです。自分がその瞬間に選んだことを尊重し、不安になったり立ち止まったりしないという選択です。
自分の選択に、なぜ寸分の間違いもなかったと言い切れるのか? それはその時点で最高最善のことしか起こっていないからです。あらゆるエネルギーの集積として、その現象が起きているのであり、一挙手一投足の選択が、起こるべき状態に導いているから。自分が選ぶ全ての選択は、その時点での最高の自分が反映されている。
この状態でいること、つまり自分がすること全てを肯定し、満足していると、とても幸せになります。これがおそらく100%自分にフォーカスしている状態で、全ての人がこの状態になると、世の中はかなり平和になります。ただフォーカスしているだけでもいいのですが、さらに「その状態を心から楽しむ」ことができると、完璧です。
瞬間瞬間を心から楽しめるようになると、自分への完全な信頼はすぐそこです。そこは「これでいいのだ」という心からの安心とともにいる境地です。
そんなことを思う今日この頃のエウリーナです^^