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無価値感からの脱却


先日、自分を完全に信頼することのメリットについて書きましたが、自分を信頼することによって手に入れられるものの大きさは、計り知れません。

人からの承認が必要なくなるので、何かを証明するために躍起になる必要もない。自分の内側の光だけにフォーカスすることができるようになり、他の人を羨むこともなくなるし、いつも穏やかで、自然にどんなことも祝福できるようになります。完全に満ち足りた状態です。

では、自分を完全に信頼するために、あなたがしなければならないことは、何でしょうか?

それは、自分を価値あるものとして認めることです。自分の価値を認めることができれば、信頼することができますよね。もう承認を求めてジタバタする必要はありません。人に何を言われようがドンと構えていることができます。なぜって、あなたの真価は、人からの評価で色褪せたりしないからです。ありのままのあなたであることに、価値があると気づくのです。

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では自分の価値って、どうやって決めるのでしょうね?ここに落とし穴があります。

今の世の中、人は他人との比較の中に価値を見出そうとします。学校でもそう教わりました。勉強し、試験を受けて、競争するのです。得手不得手なんか、お構いなしです。スポーツもそうですね。身体能力を競い合います。必ず優劣がつきますし、負けると悔しいし勝つと嬉しい。でも、本質的な意味で、そのことに価値があるのでしょうか?

日常の些細な場面でも、私たちは無数の比較の中に生きています。身長が高い/低い、肌の色が白い/黒い、結婚している/していない、仕事がある/ない、友達が多い/少ない、学歴が高い/低い、お金がある/ない・・・。そんなふうに人との比較の中に生きていると、自分の価値に気づくことが難しくなりますよね。

ある人は算数が得意だし、ある人は絵を描くことが得意です。両者の間に本質的な違いは存在しません。ただ家にいて子供や夫の世話をするのが心底好きな人もいるでしょう。何も得意ではないけれど、人の話を聞くのがべらぼうに上手い人もいるかもしれません。ただ自然と向き合って作物を作ることに長けた人、食べることに情熱を持っている人、ゴミのリサイクルを考えたい人、コンピュータを組み立てるのが上手な人。それぞれに興味の対象が違い、才能が異なります。それが世の中の自然な状態です。比較すること自体、おかしいと思いませんか?

「だから比較する必要はないんだよ」

そうと言うと、「そんなに簡単じゃないよ」と反応しちゃう? 他人との比較を手放し、自分自身であることの価値を認める。それを日常生活のあり方に落とし込んでいくのは、やはり難しいと思われるでしょうか? 

でも、比較すること自体が、幻想なのです。

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地球という星が、これだけ多様性に満ちているということに、実は意味があると思ってください。

家から一歩外に出れば自分以外のものしか見えません。比較の世界に投げ出されます。他人の様子を社会通念に照らし合わせてジャッジメントしたり、自分はどう見られているか気にしたり。その全てが多様性の中から生まれてくる比較です。つまり分離ですね。

でも、ちょっと視点を上げて、その「多様性の中から自分自身の価値を見出す」ということを、ぜひやってみてはどうでしょうか。

できることにフォーカスしてください。持っているものに感謝してください。できることで役立ってください。あなたは何ができますか? 今現在、どんなことで役立っていますか? 好きなことを追っていますか? 誰かに言われたことではない、自分が本当に向き合える何かを持っていますか? 社会や親がよしとする何かに迎合していませんか? 今の仕事はワクワクしますか? やりがいを感じますか? あなたの周りに笑顔がありますか?

あなたは、魂から輝いていますか?

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来るべき楽園とは、皆が同じ価値観を持ってハーモニーを奏でる場所ではなく、それぞれが自分自身でいることができ、個性を発揮できる環境にあり、自由を謳歌できる世界です。

皆が同じ方向を向いている世界を想像するだけで、私はゾッとします。意見が違うことは当たり前。価値観が違うのも当たり前。違って当たり前。あなた自身の内側を見てください。そこから世界が始まります。あなたが、世界の中心です。


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